文化の日って、どういう日なのかあまりピンとこないですよね。
どうして文化の日ができたのか、その由来が気になるかと思います。
文化の日は、明治天皇の誕生日であり、そして日本国憲法の公布日でもあります。
日本が、この二つをわざと重ねたことに気付いたGHQが待ったをかけ、それが文化の日ができた由来なんです。
一体どういうことなのか、詳しくご説明していきますね!
文化の日の由来ってなに?明治天皇やGHQとの関係は?
文化の日の由来は、日本国憲法を明治天皇の誕生日に公布したことが始まりです。
ですが、当時の議会である帝国会議は、5月1日はメーデーと重なるため、憲法の施行日にしてしまうと国民が混乱するだろうと、拒んだんです。
そのため、
日本国憲法は11月3日に公布され、帝国会議はその日を憲法記念日として祝日にしようとしていました。
実は、これには二つの理由がありました。
① 11月3日は明治天皇の誕生日
昭和2年から、明治天皇の功績を構成に残すため、明治天皇の誕生日である11月3日は、明治節という名称の祝日でした。
さらに、帝国会議に出席している貴族院(参議院の前身)は、貴族階級である華族や、皇族などで構成されていたため、なんとしても明治天皇の誕生日を、祝日として残そうとしていました。
そのため、メーデーを理由に日本国憲法の公布日を変更し、その日を憲法記念日にしようとしていたんです。
② 大日本国憲法の公布日に倣った
日本国憲法の前身である大日本国憲法は、2月11日に交付されました。
実は、この2月11日は日本の初代天皇である神武天皇の誕生日なんです。
大日本国憲法が、天皇誕生日に公布されたことに倣い、日本国憲法も、明治天皇の誕生日に公布しようということになりました。
ですが、そんな日本の考えに焦ったのは、マッカーサー率いるGHQでした。
GHQは明治節を廃止し、憲法記念日を公布日の11月3日ではなく、施行日の5月3日にするよう要求してきました。
GHQは、また戦争を起こさせないために、日本人の天皇=神という考えを、なくそうとしていたんです。
そのため、憲法記念日を天皇誕生日と結びつけさせるわけにはいきませんでした。
こうしたGHQの反対により、憲法記念日は11月3日ではなく、5月3日にすることになったんです。
それで終わりかと思いきや、なんとGHQの方から
「11月3日を憲法記念日にはできないが、何かの祝日にしたらどうか」
と、提案があったんです。
あんなに反対していたのになぜ?と思いますが、ここにもGHQの思惑が。
日本人の中から、天皇=神という考えはなくさなければならないけど、完全に天皇という存在を排除してしまうより、ある程度は尊重する姿勢を見せた方が、日本人をうまく統治できると考えたんです。
GHQの狙いは的中し、11月3日を文化の日という祝日として残すことで、日本からの反発を抑えることができました。
文化の日に、まさかこんな由来があったなんて驚きですよね!明治節を戦後も祝日として残したい日本と、天皇と政治を切り離しつつ統治したいGHQ、どちらも落としどころを見つけられて良かったです。
それにしても、メーデーを理由に公布日を天皇誕生日に変えてしまうなんて、日本も結構やり手だったんですね~!(笑)
文化の日にハッピーマンデー制度は通用しない!?
祝日といえば、2000年から始まったハッピーマンデー制度により、3連休にするために月曜日へ移動させられたというイメージがありますよね。
ですが、この文化の日にはハッピーマンデー制度は当てはまらないんです。
なぜかというと、文化の日は明治天皇の誕生日ですよね。
これと同じで、建国記念の日も2月11日のままですよね。
この日も先ほどお話したように、神武天皇の誕生日ですから、
文化の日と同じように、ハッピーマンデー制度で移動しない祝日なんです。
ちなみに、ハッピーマンデー制度で移動している祝日は、
体育の日→東京オリンピックの開会式の日
海の日→明治天皇が各地を回る巡幸から無事に帰還した日
成人の日→昔は1月15日が小正月で、その日に元服の儀が行われていたから
という理由から祝日になっています。
どの祝日も大切な意味がありますが、やはり天皇誕生日だけは日付を重視しているんですね。
ハッピーマンデー制度に当てはまるかどうかは、祝日になった背景を思い出すとわかりやすいですよ!
まとめ
祝日はただ単に休みになる日ではなく、こうして、いろいろな人たちの思いや考えが反映されてできたものなんですね。
そんな文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とされています。
今年の文化の日は、祝日になった背景を思いながら、日本の文化に触れてみたいですね。
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