七夕の由来を簡単に説明して!と言われた時に参考にしてね!

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7月7日は「七夕 たなばた」ですね!

子供の頃からこう読むんだ!って思っていたけれど「七」に「夕」と書いて「たなばた」ってあらためて考えると不思議ですよね~。

七夕の由来は、中国の「七夕 しちせき」の節句と日本の「棚機 たなばた」という行事が時代とともに一緒になったことなのです!

それに「乞巧奠 きこうでん」!?という中国の行事もプラスされたとか…。

いったいどういうことなのか~。

今回は「七夕」を「たなばた」と読み、現在のような行事になった由来を紹介します!

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中国から「七夕」「織姫・彦星の七夕伝説」「乞巧奠」と3つが日本に伝来‼

ひとつひとつ見ていきたいと思います^^

「七夕」は「しちせき」と読む五節句のひとつ!

中国では季節の節目に当たる日のことを「節句」と言います。

中でも五穀豊穣・無病息災・子孫繁栄や邪気を払うために、神様にお供え物をして祈る行事があります。

その中の一つに「七夕 しちせき」と言う節句があり、7月7日に行われていました。

ちなみに残りの四つの節句はこのようになっています。

人日(じんじつ) の節句 1月7日 和名:七草の節句
上巳(じょうし) の節句 3月3日 和名:桃の節句
端午(たんご)  の節句 5月5日 和名:菖蒲の節句
重陽(ちょうよう)の節句 9月9日 和名:菊の節句

 

織姫・彦星の七夕伝説

織姫は「こと座のベガ」で「養蚕や裁縫を司る星」

彦星は「わし座のアルタイル」で「農業を司る星」

と、中国では考えられていました。

そして、7月7日は、この2つの星が天の川をはさんでとても明るく輝くため、あの皆さんが知っている年に一度しか会えない七夕伝説が作られたと言われています。

乞巧奠「きこうでんorきっこうでん」

機織りや裁縫の上達を祈る行事として、7月7日に行われていたのです。

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この3つの行事が奈良時代に日本に伝来されたと言われています。

奈良時代に伝来した3つの行事

  • 七夕の節句
  • 織姫・彦星の七夕伝説
  • 乞巧奠


伝来後「日本の七夕の原形」となる宮中行事が始まる‼

奈良時代に宮中では「織姫=裁縫を司る星」にあやかろうと5色の糸や金銀の針を飾って、裁縫の上達を願ったそうです。

また「梶の葉 かじのは」に和歌を書いて歌の上達を願ったりもしたそうです。

元々日本でも庶民の間で7月7日に行事があった‼

奈良時代、庶民の間では「棚機 たなばた」と言われる行事が行われていたそうです。

水辺の小屋で「棚機つ女 たなばたつめ」と呼ばれる女性が機織りをして、織った布を神様に供え、村の厄や穢れ(けがれ)を持ち去ってもらう行事だったそうです。

使われる機織り機の名前が「棚機 たなばた」だったのでこの名称になったと言われています。

 

江戸時代に「宮中行事」と「庶民の行事」が一緒になって「七夕 たなばた」に‼

「宮中行事」で和歌を書いていた梶の葉が短冊に、飾っていた5色の糸が七夕飾りに変化し「短冊に願い事を書き、笹に吊るして、星にお祈りをする」という現代と同じようなスタイルの「七夕 しちせき」が江戸時代に確立されます。

ところが、この「七夕 しちせき」が、庶民の間へ広がっていく間に「棚機 たなばた」と混同する人も多く現れ、「七夕=たなばた」になっていったと言われています。

願い事も、裁縫のことだけでは無くなり、芸事や書道など習い事全般の上達を願うように変わっていったそうです。

現在では、習い事の上達というよりも、何をお願いしても良いというか…「宝くじが当たりますように」「パパの足がいい匂いになりますように」などなど、笑ってしまう短冊を発見したりします。

という私も、とっても自由なお願いを毎年書いています^^

 

まとめ

日本の「七夕 たなばた」は中国の「七夕 しちせき」「七夕伝説」「乞巧奠」 が奈良時代に宮中に伝わり~

もともとあった日本の「棚機 たなばた」の行事と一緒になり~

七夕=たなばた になったということでした!

子供の頃からこう読むものだ、と、思っていましたが、なるほど‼こういうことだったのですね^^

なんか、とてもスッキリしました‼

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

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