七夕の食べ物のそうめんには伝統や文化に歴史があるのです

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毎年7月7日は「そうめんの日」って知ってました?

そうめんは、古くから伝わる食文化なのです。

そうめんの原型が、奈良時代に中国から伝わったのです。

同時に織姫と彦星の伝説も伝わったのです。

この面白い意味と由来を解説します。

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七夕の食べ物は昔から「そうめん」

七夕は五節句のひとつで、中国伝来の「織姫と彦星」の星祭、というのはみなさんご存知ですよね。

この話、日本には奈良時代に伝わったということです。

万葉集には「七夕に関する歌」がなんと132首もあるのですね。
ちょっと古いですが『冬ソナ』のような<純愛もの>が昔の人には受けたのでしょうか。

奈良時代、中国伝来のものに『索餅(さくべい)』というものもありました。
正倉院文書』には奈良時代に索餅の取引があったという記録があるのです。

さく‐べい【索餅】

唐菓子の一種。小麦粉と米の粉とを練って、縄の形にねじって油で揚げたもの。陰暦7月7日に瘧おこりよけのまじないとして内膳司から禁中に奉り、また、節会せちえの時、晴れの御膳に供した。むぎなわ。広辞苑第六版より

平安時代になって、宮中でも民間でも七夕の節句に「病除け祈願」として索餅を食べたという記録があります。

この古来の食べ物が、現代の「そうめん」の原型と言われているのです。
そして、7月7日は『そうめんの日』なのです。

全国乾麺協同組合連合会では、昭和57年からこのような日本古来から伝わる五節句の行事に欠かせない行事食の7月7日七夕の「そうめん」を広く認知されるよう、7月7日「七夕・そうめんの日」と決め、芸事に限らず恋愛・健康の願いごとが叶うよう七夕に「そうめん」を食べるよう、普及を図っています。
全国乾麺協同組合連合会ホームページ

七夕の意味や由来、中心になるポイントはこちらで詳しく説明しています。

七夕の食べ物のそうめんは節句に供えた

びっくりすることに、1000年も前から七夕の行事食としてそうめんが食べられていたのですね。

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そうめんは、原料が小麦・水(軟水)・食塩(海水塩)で、この産地が近いことから西日本を中心に、この生産が盛んになったのです。

さらに、江戸時代に「五節句」が幕府によって制定されてからは、人々の間で七夕に食べる行事食としてそうめんが一般的になったのです。

特に、細長くて白い形の麺を「糸」に見立て、これを供え物とする習慣が広まったのです。もちろん祈願した内容は「裁縫の上達」です。

<参考:Wikipedia「素麺」>

七夕の食べ物のそうめんを年中行事に

季節に合った旬のものを食べるのは、理にかなったことですよね。

さらに、それぞれの節句にも旬のものを食べて、無病息災を祈ることはふさわしいことです。

夏の暑い時期、食が細くなりがちな時に、さっぱりと冷えたそうめんに、季節の薬味をのせていただくのもいいですよね。

五節句にはそれぞれ一般的な行事食があるのですが、七夕の「そうめん」はあまり知られてないですよね。

「七夕の行事食は?」という質問をされると、クイズ番組では正解率がイマイチかも知れませんね。

まとめ

「索餅」と「そうめん」が「七夕」とどういうつながりがあるのかについて、正確な情報を掴むために、かなりの時間を使って調べました。

なかなか参考になる資料がみつからなかったのですが、とてもためになる資料があったので、ぜひとも紹介したいものがあります。

お蕎麦を専門にしている方なのですが、麺類の歴史を研究している途中で「索餅」の正体を探っているのに「資料がほとんどない」というのです。

そうそう、資料がないですよね~と激しく同意していました。

この方が作成された資料がこちらです。

参考:江戸ソバリエ協会『不可解な「索餅」の生い立ち』小林尚人著(2011)

合わせておすすめしたい記事はこちらで詳しく

参考文献

『節供の古典-花と生活文化の歴史-』(雄山閣出版 1993年)

五島邦治「索餅」『平安時代史事典』角川書店、(1994年)

参考国会図書館ホームページ

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