子どもは時々返事に困る質問をしますよね。
七夕の短冊に願い事を書く場面で、突然の質問でした。
「だれに書くの?」
そんなことがあったので、「いつどこで誰が何を」といった基本的なことを知っておく必要があるな、と考えるようになりました。
この記事では、七夕の短冊に記す願い事の宛先について、歴史的な移り変わりから説明しています。子どもには正しく答えたいですよね。
七夕のなりたち
「七夕」の本来の意味は、七月七日の夕方といわれています
七夕の行事は、次の3つのストーリーが混ざり合って形作られたのです。
1,日本古来の「はたおりつめ(棚機津女)」の信仰
2,中国古来の「牽牛と織姫星」の伝説
3,中国古来の行事「乞巧奠(きこうでん)」の風習
1,はたおりつめ
人里離れた清流の岸にある機屋(はたや)において、降臨する神に仕えるために選ばれた乙女で、日々織物を織り、できたものを奉納していたのです。
神にけがれを持ち去ってもらい、そのためのみそぎを行っていました。
2,牽牛と織姫星
中国の信心のひとつで、牽牛星は農業の時期を知る目安としていました。織姫星は養蚕業をつかさどるという信仰がありました。年に一度の出会いが語られて、平穏無事に会うことができるようにと祈られました。
3,乞巧奠(きこうでん)
2の牽牛と織姫伝が発達して乞巧奠となったと言われています。
「乞巧」とは技巧の上達を願うという意味で、「奠」は祭りという意味があります。中国が唐の時代に盛んに行われた行事で、女性は皆裁縫の上達を願ったと言われています。
3つのストーリーについてはこちらで詳しく説明しています。
七夕はどんな行事?
無病息災を願う
はたおりつめは、機(はた)で織った布を神に奉納して「無病息災」を願ったのです。
願いを星に祈る
平安貴族たちは、中国伝来の文化に強い影響を受けて「星祭り」を行ったこと。これは、竹竿に糸をかけて「願いを星に祈る」とかなえられるという、乞巧奠の習わしに従った行事で、梶の葉に歌を書き記して手向けるものです。
7月7日の定着
その後、乞巧奠の行事が人々にも広まり、はたおりつめのストーリーと結びついて、現在の7月7日の七夕となったと言われているのです。
短冊の使用と学業の成就
江戸時代になると、短冊が使用されるようになり、これに詩や歌を書いて笹竹につるします。これを軒先に立てる風習が寺子屋の普及とともに浸透していったのです。これによって、字の上達の願いも加わり、さらに学業や技芸の上達を願うようになったのです。(軒先は別名「のきば」と言います)
さらなる普及
明治時代になると、各地の商店街などで七夕祭が大規模で行われるようになり、人々の習慣としてさらに広まったようです。
願い事の宛先は?
歴史的な流れの中で、七夕は学業成就を願う祭りとなたのです。
願い事の宛先は、牽牛星と織姫星のふたつの星に願うと叶うと言われています。
織姫は、機織りの名手であったために、機織りや裁縫の上達を願ったのです。
短冊を使用するようになったのは江戸時代からで、字の上達から学業や技芸の上達を願うようになったのです。
星に願いを、ということなのですね。
まとめ
「だれに、なにをお願いするの?」
という素朴なギモンからはじまった今回の記事ですが、少しでもお役に立てたでしょうか。
合わせておすすめしたい記事です
参考にした小笠原流のページは、スッキリとまとめられた内容で、とても良く理解できました。
参考:七夕祭り 小笠原流礼法ホームページ
参考文献はこちらです
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内容(「BOOK」データベースより)
盆正月や節句など季節ごとのしきたりから、全国各地の神社仏閣での祭事まで、現代に生きる年中行事の数々を、四季別・月別で一年分網羅。それぞれにこめられた歴史や意味を、身近な生活文化に即して解説した読み物事典。
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