ドイツは、世界で4番目に多くの世界遺産を持つ国です。
その数は、2018年時点で44件にものぼります。
ところが一方で、世界遺産の取り消しを受けたという過去もあるのです。
一度認められたものが、どうして取り消しになってしまったのか?
今回は、ドイツの取り消された世界遺産の謎に迫ってみようと思います。
橋が原因…ドイツの世界遺産の取り消しは景観を損ねたためだった!
ドイツで取り消された世界遺産とは、「ドレスデンのエルベ渓谷」というもの。
その美しい渓谷に橋が建設されることになり、世界遺産の取り消しが決まったのでした。
ドレスデンはドイツ東部、隣国チェコとの国境近くにある街です。
そしてそこは、エルベ川という国際河川の川沿いに位置する街でもあります。
このエルベ川の上流域に渓谷が形成され、その谷間にあるのがドレスデンなのです。
ドレスデンの街並みとエルベ川の渓谷が織り成す美しい景観が、世界遺産に認定されたのでした。
それは2004年のことで、その5年後の2009年に、取り消しを受けることとなったのです。
その理由は、最初にお伝えした「橋の建設」が原因でした。
橋を建設することで、世界遺産として登録された景観が損なわれると考えられたためです。
では、どういう経緯で橋が建設されることになってしまったのでしょうか。
実は、橋を建設するという計画は以前からあったといいます。
ドレスデンのエルベ渓谷が、世界遺産のリストに登録される以前からです。
橋を架ける目的は、市街地の渋滞を緩和するためだったのです。
橋の建設が決まったのは、2004年の2月。
該当エリアが世界遺産に登録されたのは、7月のことでした。
このことで橋の建設計画は怪しくなり、賛成派の住民グループらが住民投票を求める活動を始めました。
そしてその翌年、橋の建設の是非を問う住民投票が行われるにいたったのです。
結果は賛成票が優勢となり、橋の建設は実行に移ることに。
一度はその景観を世界遺産として登録された場所に、何か変化が起こるとしたらどうなるでしょう?
当然、ユネスコの世界遺産委員会は黙ってはいませんでした。
まず世界遺産委員会は、橋が建設されると、ドレスデンのエルベ渓谷で見られる景観が損なわれると判断をしました。
そのため、ドレスデンに対して橋の建設計画を再検討するように求めたのです。
橋の代替案として、トンネルの建設などが提案されたようです。
そして同時に、「危機遺産リスト」へ登録することもにおわせたのです。
また、場合によってはそれで済まずに、世界遺産リストから取り消すという警告も出されました。
圧力をかけられたドレスデンは、一度は橋の建設を先延ばしにします。
しかし、住民投票での賛成意見を考慮し、工事に踏み切ります。
ドレスデンとしては、橋が架かってもエルベ渓谷の景観は損なわれないという訴えをしていたようです。
しかし、世界遺産を決める委員会には、その思いは届かなかったようです。
2008年に行われた世界遺産委員会において、再びエルベ渓谷をリストから取り消すのかが話し合われました。
橋の建設は始まってはいましたが、ドレスデンも取り消しを防ぐべく頭をひねっていたようです。
その努力が認められたせいか、その年での世界遺産の取り消しはありませんでした。
しかし、委員会からの警告は再度行われました。
今後も橋の建設が続くようであれば、世界遺産のリストから排除する…。
そして翌年の2009年、それは現実のものとなってしまいました。
橋は2012年に完成し、翌年には開通しました。
住民の意思を尊重して造られた橋が原因で、ドイツは世界遺産をひとつ失ってしまいました。
しかし、これは2度目に行われた取り消しだったのです。
ドイツの前に実はもうひとつ、世界遺産の取り消しを受けた国があったのです。
ドイツだけじゃない!もうひとつの世界遺産はこうして取り消された…
最初の取り消しを受けたのは、オマーンでした。
「アラビアオリックスの保護区」が世界遺産として登録されていました。
アラビアオリックスとはウシ科の角のある獣で、角を目的とした乱獲で絶滅に追い込まれていました。
オマーン国王の指示で保護区が作られ、数を増やすことが計画されたのでした。
そもそもその保護区の世界遺産への登録は、管理面などで問題視される部分もあり、延期される可能性もあったとのこと。
しかし、そういった問題にちゃんと対応していくという約束があり、委員会で登録が決定したのでした。
しかし、オマーンはその約束を守らなかったのです。
天然ガスや石油などの開発のために、保護区の面積を大幅に縮小したのです。
これは、オマーンの独断によって行われたものでした。
希少動物の保護より開発を重視したこの行動に、世界遺産からの抹消が警告されました。
世界遺産委員会の中でも保護区の登録を取り消すことには賛否がありましたが、決め手となったのはオマーンの意見です。
オマーンは、世界遺産を失うことより、国を潤す開発を選んだのでした。
こうして、2007年に、アラビアオリックスの保護区は世界遺産のリストから取り消されることになったのでした。
一度は世界遺産に登録されたものの、取り消しを受けた2つの世界遺産。
取り消しという結果では同じに見えますが、その本質は違っています。
まず、オマーンの「アラビアオリックスの保護区」は、オマーン側の意向によって登録が取り消されたということです。
対してドイツの「ドレスデンのエルベ渓谷」は、世界遺産委員会側の意向で取り消されたということです。
まとめ
「ドイツ大好き人間」を自負する私は、ドイツのものは何でもよく見えてしまうところがあります。
エルベ渓谷に橋が架かっていたからといって、私には景観を損なっているようには見えないのです。
「ああ、ドイツの景色は素晴らしいなあ」という具合です。
しかし、世界遺産を決めるのはもちろん私ではありません。
橋の建設が景観を損なうと見なされれば、登録の取り消しも仕方のないことかもしれません。
世界遺産の登録を取り消される可能性が出たとき、渦中のドレスデンは大変揉めたと思います。
その証拠に、委員会に圧力をかけられて、橋の建設は止まったり再開したりを繰り返します。
世界遺産に登録されるということは、とても名誉なことだと私は考えます。
登録されたからにはその保護に全力を注ぐのも、当然の使命とも思えます。
しかしドイツのこの一件では、こんな意見もあったそうです。
「橋の建設は地元の住民投票で決まったのに、世界遺産の保護を優先するのか」
これは、「個」に重きを置くドイツらしい考え方だと思いました。
誰だって世界遺産を取り消されたくはない。
だけど、橋の建設はみんなの意見で決まったことだから。
結果的に橋は建設されることとなり、ドイツはひとつの世界遺産を失いました。
ただ、そのことを悲しむドイツ人は実際どれだけいるのだろうと、私は思うのです。
世界遺産の中でも自然世界遺産は、特に人との共存が難しいですよね。
難しさはあるけれど、それを守っていくからこその世界遺産だとも思います。
ドイツで起きた世界遺産の取り消しは、取り消しの事実以上に多くのことを考えさせてくれる気がします。
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